静かに座って、ただ呼吸に意識を向けようとした瞬間。
ふと浮かぶ、今日の予定。
誰かの言葉。
スマホの通知音。
あぁ、また集中できてない——。
そんな体験、瞑想を始めたばかりの頃、何度も味わいました。
けれど、あるとき出会ったのが「ラベリング瞑想」。
この手法に出会ってから、雑念を追い払おうとするのではなく、“ただ見る”ことの大切さに気づかされたんです。
ラベリング瞑想とは?
ラベリング瞑想は、その名の通り「ラベルを貼る瞑想」です。
浮かんできた思考や感情、感覚に対して「考え」「怒り」「音」といったシンプルな言葉でラベリングしていきます。
私が初めてこの方法を試したときは、正直ちょっと不思議な感覚でした。
頭の中に出てくるもの一つひとつに名前をつけていく作業なんて、最初は慣れませんでした。
でも不思議なことに、名前をつけるだけで、そこにとらわれなくなっていくんですよね。
雑念との関係を変える
瞑想をしていると、どうしても「集中しなきゃ」とか「雑念があるのはよくない」って思ってしまいがちです。
でも、このラベリング瞑想を通して感じたのは、雑念を敵にしないことの大切さでした。
雑念があるのが普通という発見
瞑想をしているのに考え事が止まらない、そんな自分を責めていた時期がありました。で
も、ラベリング瞑想を取り入れたことで、「あ、これは“考え”だな」って一歩引いて見られるようになったんです。
そのときふっと心が軽くなった気がしました。
まるで、雑念を抑え込むのではなく、静かに隣に置くような感覚。
責めなくていい。ただ気づいて名前をつける。それだけでずいぶん違ってくるんですよね。
気づくことでとらわれが減る
「音」「不安」「期待」——頭に浮かぶものをそのままラベリングしていくうちに、それらの存在に対して少しずつ距離が取れてくるのを感じました。
あたかも、自分の中にある“自動反応”のパターンが見えてくるような感じ。
これが「今ここ」に戻る感覚なんだなと、じんわり実感したんです。
自分の内側を静かに見つめる
ラベリング瞑想には、特別な技術も知識も必要ありません。
むしろ、ただありのままを見ていく素朴な行為の積み重ね。
けれどその中にこそ、深い気づきが隠れていると感じています。
一日数分からでも十分
最初は5分、いや3分でもいいと思います。
大事なのは「よし、今は静かに自分と向き合ってみよう」という気持ちだけ。
私が始めたときも、寝る前のほんの短い時間だけでした。
部屋の照明を落として、目を閉じて、浮かんできた思考にそっとラベルをつけてみる。
何も特別なことをしようとしなくても、ほんの少しの変化が、心の中に広がっていくのがわかりました。
静けさの中で気づく“自分の声”
外からの刺激に囲まれていると、自分の本当の声がわからなくなることがあります。
だけど、ラベリングをしながら心の動きを見ていくうちに、「ああ、自分って今こんなふうに感じてたんだ」とか、「本当はちょっと疲れてたのかもしれない」って気づける瞬間があるんです。
日々の小さなストレスや見過ごしていた感情が、やっと声をあげてくれるような、そんな感覚。
表面的な感情の奥にある“ほんとうの想い”に触れると、なんともいえない安心感が生まれます。
雑念を「ダメなもの」にしない
私たちはつい「無にならなきゃ」とか「静かに集中しなきゃ」と思いがちですが、実はそういったプレッシャーこそが集中を妨げることもあります。
ラベリング瞑想は、その考え方をそっとほどいてくれます。
「今、自分の頭には“焦り”があるな」「なんだか“期待”が出てきたな」——そうやってラベルをつけるだけで、感情が勝手に暴走しにくくなるんですよね。
習慣になると、ふとした瞬間に変化が
不思議なことに、この瞑想を続けていると、日常の中でも自然とラベリングするようになってきます。
たとえば、人と話していてイライラしたとき、「これは“怒り”だな」と気づくだけで、グッと冷静さが戻ってくる。
反射的に感情で動いていた自分が、少しずつ落ち着いて選べるようになるんです。
それは、ちょっとした革命のようなものでした。
だって、自分の心が騒がしくなる瞬間って、日常のあちこちにありますよね。
それを整えていくための小さな道具として、ラベリングはすごく頼りになります。
あるがままの自分と仲良くなる
瞑想をしていても、うまくできない日があります。ラベリングもうまくいかないと感じるときもある。
でも、そういうときこそ、気づきのチャンスかもしれません。
「今、焦ってるんだな」とか「できない自分を責めてるんだな」と気づくだけでも、一歩前進してるって思えるようになりました。
うまくやることが目的ではなくて、ただ今の自分を観察する。
そのシンプルな姿勢が、少しずつ日々の心を穏やかにしてくれるんです。
静寂の中に広がる自由
続けていくうちに気づいたのは、雑念を手放したときに現れる「余白」のような感覚。
そこに何があるのかは、そのときどきで違います。
でもたしかに、自分の中にある静けさや広がりを感じる瞬間が増えていきました。
日常に追われていると、自分の心のスペースすら見失いがち。
でも、ラベリングというシンプルな行為を通じて、少しずつそのスペースを取り戻すことができるんです。
まとめ
雑念をなくすのではなく、ただ気づいて名前をつける。
それだけで、自分との関係性は驚くほど変わっていきます。
ラベリング瞑想は、誰かのためでも、成果を出すためでもなく、自分自身とやさしく向き合うための時間。
心がざわつくとき、息が詰まりそうなとき、ぜひ試してみてほしいと思います。
ほんの少し、自分にやさしくなれる瞬間が、そこに待っているかもしれません。
コメント