リトリートという言葉を初めて耳にしたとき、正直ちょっとだけ身構えてしまいました。
英語だし、なんだか意識高そうだし、日常から離れて何をするの?って。
でも実際にリトリートに参加してみると、その印象は大きく変わりました。
あの時間があったからこそ、今の自分の軸を取り戻せたような気がしています。
リトリートとは?
リトリートという言葉を聞いたとき、正直はじめはピンときませんでした。
「引きこもる?」「逃げるってこと?」そんなふうに受け取っていたんです。
でも実際に体験してみたら、そのイメージはすぐに覆されました。
日常から一歩引いて、自分のためだけの時間を過ごす。
それは決してネガティブな意味じゃなくて、むしろ“自分に還る”ためのポジティブな行動なんだと気づかされました。
自然に包まれるだけで心が整っていく
私が初めてリトリートを体験したのは、長野の山あいにある、小さな一軒宿でした。
宿といっても、いわゆる旅館やホテルのような華やかさはありません。
木の香りがふんわりと漂う古民家で、設備も最小限。部屋にはテレビも時計もなく、スマホは電波すら届かない。
はじめは少し戸惑いましたが、その静けさに身を委ねていくうちに、不思議と心が整っていく感覚がありました。
朝は自然のリズムで目覚めます。
鳥の声が窓の外から聞こえてきて、それだけで「起きよう」と思えるんです。
アラームに追われる感覚もなければ、寝ぼけまなこでスマホをチェックする習慣もない。
ただ、ぼーっと布団の中でまどろむ時間がこんなにも愛おしいものだったのかと、少し驚きました。
そして夜は、焚き火のそばでひとり時間を過ごします。
火のゆらめきって、ずっと見ていられるんですよね。
パチパチと薪がはぜる音、頬にあたるひんやりした空気、ほのかに香る木の匂い。
五感がやわらかく開いていくのが分かります。
話す相手がいない分、自分の内側に意識が向かっていく。
そうやって、ようやく「今、自分はどうしたいのか」という問いが浮かび上がってくるんです。
情報から離れてやっと見えた“余白”
普段の生活の中では、この“自分の声を聞く”という行為が意外と難しい。
仕事、家事、SNS、ニュース、街の音、知らず知らずのうちに私たちは膨大な情報に飲み込まれてしまっていて、気がつけば心の奥の声はかき消されている。
でも、リトリートの時間は、その情報をすべて遮断して、いったんニュートラルに戻るための場所になります。
「何もしないこと」がこんなにも価値のある時間だと感じたのは、あのときが初めてかもしれません。
何かを生産したり、成果を出したり、常に前に進み続けなきゃというプレッシャーから、やっと解放されたような気がしました。
日常に戻ってからも残り続けた“感覚”
日常に戻ったあとも、その体験はじわじわと効いてきました。
たとえば、ちょっと疲れたときに「一度立ち止まる」という選択肢を思い出せるようになったんです。
前は無理してでも走り続けようとしていたのに、今では「今日は何もしなくてもいいか」と自然に思えるようになった。
そういう変化って、すごく小さいけれど、生き方を少しずつ変えていく力があるように感じます。
リトリートは、どこか遠くに行かなきゃいけないわけじゃありません。
本質は「自分のための時間を確保すること」。
だから、近所の公園で本を読むだけでもいいし、スマホを切ってお風呂にゆっくり浸かるだけでもいい。
そういう“日常の中のミニ・リトリート”も、じゅうぶん意味のあることだと思います。
何かが行き詰まったとき、あるいは理由もなく心がざわざわするとき。
そんなときに「ちょっと立ち止まってみようかな」と思えるようになるだけで、リトリートの意味ってすでに生きている気がします。
初心者でも大丈夫?リトリートを楽しむためのマインドフルネス
リトリートに興味はあるけど、なんだかハードルが高そうと思う人も多いかもしれません。
でも実際はそんなに堅苦しいものじゃなくて、自分のペースで過ごせる場所がほとんどです。
私が最初に参加したときも、何を持っていったらいいか分からなくて不安だったけど、現地に行ったら「何も持たないで来てくれて正解です」と言われて拍子抜けしました。
必要なのは、開いた心と少しの好奇心くらいです。
リトリートを楽しむコツは、予定を詰めすぎないことだと思います。
全部のワークショップに参加しなくてもいいし、無理に人と話さなくてもいい。
むしろ、何もしないことの中にこそ、本当の意味が隠れているように感じます。
そしてもうひとつ、リトリートを終えて日常に戻ったあとも、そこで得た感覚を忘れないようにすること。
私の場合は、朝の5分だけでも瞑想を続けることで、リトリートの余韻を持ち帰るようにしています。
それだけで、ふとしたときに深呼吸できる自分が戻ってくるんですよね。
マインドフルネスの実践
マインドフルネスって、何か特別なことをするわけじゃありません。
今やっていることに集中するだけ。
たとえば食べるとき、スマホを見ずに食べ物の香りや味に意識を向けてみるだけでも、それは立派な実践です。
私のお気に入りは、歩く瞑想。
近所の公園をゆっくり歩いて、足の裏の感覚や風の匂いに集中するんです。たった10分でも、驚くほど心が整います。
何かを変える必要はなくて、いつもの行動にちょっと意識を加えるだけ。
それだけで、日常が少しだけ優しくなってくれる気がします。
自分に合うリトリートの見つけ方
いろんなスタイルのリトリートがあるので、自分に合うものを見つけることが大切です。
自然の中で過ごすタイプ、都市型で手軽にできるもの、スピリチュアル要素が強めのものなど、バリエーションは豊富です。
私が特に惹かれるのは、海辺でのサイレントリトリート。
話すことを控えて、波の音だけを聞く時間がとにかく贅沢でした。
初めて参加するなら、日帰りや一泊のプランから試してみるとハードルが下がります。
リトリートは特別な人だけのものじゃなくて、誰にとっても「戻ってくる場所」として機能するものだと思います。
リトリートのあとに起こる変化
不思議なことに、リトリートが終わってすぐは劇的な変化があるようには見えないかもしれません。
でも、ふとした瞬間に「あ、今までと違うな」と思う場面が出てきます。
たとえば仕事でイライラしたときに、深呼吸できるようになっていたり。無意識にスマホを手に取る回数が減っていたり。
そういう小さな変化が、じわじわと生活の質を変えていく気がするんです。
日常の中に、静けさや余白を持ち込めるようになる。
それがリトリートの最大の効能かもしれません。
まとめ
現代って、常に前に進まなきゃいけないような空気があると思います。
でも、時には止まって、自分に戻る時間が必要なんだと思います。
リトリートは、特別なイベントじゃなくて「自分を思い出すための時間」。
そんなふうに感じるようになってから、日常の見え方が少し変わりました。
静けさの中で見つける本当の自分。
それを求めて、また次のリトリートを探してしまうのかもしれません。
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